卒園生だより

卒園生からのメッセージ

今年で24歳になる卒園生の「ペンネームひよこ」さんから今までの人生を振り返った「今までの歩み」と現在の生活の様子を書きとめた「グループホームでの生活」の2つのメッセージをいただきました。

「今までの歩み

ペンネーム ひよこ


「幼児期」

 私は簡単に母親に甘えることが出来ませんでした。たぶん、自分自身で我慢していたのかもしれません。保育園やこども園の送り迎えは父親がよくしてくれました。母親は卵を使わないように料理を一生懸命工夫してくれました。私には妹がいますが、妹や母親とは一緒に過ごす時間が少なかったので、さびしい思いをしたこと今でも覚えています。でも私なりに妹の事は理解していたと思います。その頃はすぐにはうまく言葉を言えなかったかもしれません。また大人しくてよく人見知りをしていたようです。今でも写真を見るとなつかしく感じます。保育園に行きだしたころに健常の友達が出来ました。その子とは2年間同じクラスになってよく遊んでたって、父親から聞きました。その子のおかげもあって言葉も増えました。その頃になんとなく自分の障害に気がついていたかもしれません。自分と他の子との違いにうすうす感づいたかもしれなかったです。


「小学校」

 地域の小学校に6年間通っていました。知っている友達が1人もいなかったです。いじめもあり、授業やクラブ活動や委員会活動についていけない時期がありました。小学6年の時に、小学3年の時に担任を持ってくれた先生が担任になりました。その先生と隣のクラスの先生と支援学級の先生と補助の先生がどうやってみんなと仲良く出来るかを考えてくれました。6年の時に、初めて仲良しの友達が出来ました。一番行事が多かった6年の時に、全てその先生のおかげでみんなと一緒に参加することができました。しんどい時などがあったけど、それなりに楽しかったです。

 

「中学校」

 地域の中学校に3年間通っていました。正直、地域の中学校か支援学校の中学部に行くかで悩みました。でも地域にいたいという気持ちが大きかったのと仲良しの友達もいることもあって、地域の中学校に決めました。中学校になると、友達関係や勉強で悩むことが多かったです。でもイジメがあっても私は通い続けていました。今思ってもつらかったです。支援学級が居場所だったのにそれが中3になってなくなってしまって、よく保健室に通っていました。クラスの輪にもなかなか入れなかったのがすごくつらかったです。すぐになじめなかったのもあるかもしれません。したかった(やりたかった部活動)がありました。それは、テニスかバスケ部でした。入りたかったけどその頃の私には勇気がありませんでした。中学校三年間は私にとってしんどかった三年間でもありました。でも、同期のみんなには感謝しています。

 

「高校」(支援学校)

 思斉特別支援学校に三年間通っていました。三年間、朝早くから屋上で男子と筋トレして放課後はバスケをして過ごしていました。学校の先生がほとんど持ち上がりで安心しました。正直、思斉か難波に行くかで悩みましたが、学校の雰囲気と卒業後のことなどを考えて思斉に決めました。思斉でやってみたいことが見つかりました。生徒会にも(書記・副会長)チャレンジしました。学校の先生をはじめ、色んな先生に助けてもらいました。そして、心から信頼ができる友だちや先生が出来ました。決して一人じゃないってことを先生に教えてもらいました。相談などがあった時は、その先生の所に言って聞いてもらっていました。自分にとってこの三年間は、手の平にのるぐらい大きな思い出が今でも残っています。学年の友だちは、一人一人が友達です。女子が10人で少なかった分、色んなことを学び、経験させてもらいました。時には先生方は、優しく厳しく接してくれました。何事にも諦めたら出来ないとか色んなことを学び、そして自分なりに成長することができました。母親と三年間、筋トレ・バスケを続けるという約束をしました。やめたい時期もあったけど、やっていくうちに楽しくなりました。めちゃくちゃ下手やのに副キャプテンやキャプテンを任されました。同じ学年の先生が「ハムスターひよこは、三年間頑張って続けてきたんだから、選んだんやで!」と言ってもらえました。上手い、下手とは関係なく続けることが大切ってことがその時に分かりました。こけてばかりだったけど、シュートが決まるとすごくうれしかったです。私にとって、この三年間は大切な宝物であり、大きな思い出がつまっています。思斉を選んでよかったです。大切な思い出は、一生忘れることができないです。みんな、先生方ありがとう。

 

「卒業後」

 卒業して加島友愛会の中にあるLinkへ通いました。就学移行を選びました。本当は、訓練校か就職か作業所で悩みました。でも先生が「ハムスターの場合はすぐに就職はむすかしいと思うから訓練して就職したらどう?」というアドバイスをもらいました。Linkには1年と3カ月通い、様々なことを訓練してから就職が決まりました。就職して5年です。色んなことがあります。でも、Linkで学んだことを少しでも生かしたいです。まだまだ未熟です。自分に合ってるか、正直分かりません。自信を持つのも少し苦手です。ゆっくりあせらず自分のペースでやりたいのが心の本音です。うまく時間配分が出来なくて毎日悔しいです。自分のペースをどうやって保っていけばいいのか分からないです。仕事をしてたら色んなことがあるけど、自分なりにこれからも先、頑張っていきたいです。あせらず、あきらめず、くらべず、初心を忘れずに日々頑張っていきます。

 

「そして…。今」

 今は、家を離れてグループホームで生活をしています。入所してから3ヶ月です。たまに家に帰って探し物など探しています。グループホームで出来る事も少しずつ出来るようになりました。今は、自分の体の調子もありますが、ぼちぼちやっています。今グループホームにいることは自分にとって将来のため(一人暮らし)の練習をなんだって、そう思っています。出来ること、出来ないこともあるけど、今味わえないことも味わえるように頑張りたいです。自分のペースで頑張ってみたいです。そして、一生懸命育ててくれた母親、送迎を手伝ってくれた父親には感謝しています。いつか、グループホームから離れて一人暮らしをすること、福祉の仕事をすることを目標に少しずつ頑張っていきたいです。たとえ、障害、病気があるからって決して諦めたくありません。障害があっても病気があったとしてもそれは運命なのでそれはしっかり受け止めて自分らしく頑張っていきます。皆さんも決して諦めないで頑張って下さい。

「グループホームでの生活」

 今、グループホームで生活して3ヵ月です。最初は2人でした。今ではもう4人です。あと一人が決まったら5人で暮らすことになります。自分にとってグループホームでの生活は、将来(一人暮らし)の練習をすることを目標に暮らしています。今は、少しずつ出来ることも増えました。自信という達成感はまだ味わえていません。でも、これからは自信につなげられるようにあせらずに頑張ります。“あせらず”、“くらべず”、“あきらめず”を忘れることなく、自分のペースで頑張っていこうと最初のころに心の中でちかいました。グループホームでは、どうやって自分の時間を使えばいいのかまだ少し分からないです。でもそれも工夫してやってみます。たまに、風船バレーに参加しています。今は家族がバラバラだけど、それぞれの生活を大切にしていきたいです。少しずつ頑張っていきます。将来、自立をすることが目標なのでその夢に向って頑張っていきたいです。私らしく毎日みんなと過ごせたらいいなって思っています。みんなと助け合いながら生活したいけど、今は一人で出来ることを味わえるようになることです。これからも、グループホームでの毎日の生活を楽しく過ごせるように努力していきたいです。グループホームを見つけてくれた相談員の人には感謝しています。これからも自分らしくゆっくり頑張っていきたいです。ぜひ、その夢が叶うといいな、って思っています。


パレットに来てから

 私は3年前に友達の紹介で堺市にあるパレットを知りました。友達の紹介でパレットの「しゃべり場」に参加するようになりました。その友達のおかげで友達の輪が広がりました。最初は友達が出来たらいいなって思いました。そして少しずつ出来ました。交通機関を使ってあちこち一人で行けるようになりました。「しゃべり場」に行くとたくさんの友達やスタッフの人と話をして自由に過ごしています。まるで高校(支援学校)の時に戻った感じがしてアットホームな雰囲気で安心感があります。少しずつ自分にとっての居場所ができました。「しゃべり場」は、色んな友達とスタッフの人と関わりがあります。自分にとって、「しゃべり場」がかけがえない場所でもあります。スタッフの人と話をしてたら自然と落ち着きます。「しゃべり場」でどんな話をしようとスタッフの人と一緒に考えています。自分にとって近くにそういった集まり場がないのが悔しいけど、堺市にくると集まりがあるのでうれしいです。これからも、「しゃべり場」に参加していきたいです。もし、「しゃべり場」で講演会があれば今までのこと、話をしてみたいです。本当に、自分にとってホッと出来る時間の1つで、私にとって居場所でもあり息抜きも出来ます。だから、大阪市でもそういった集まり場を作ってほしいのが一番の願いです。本当にいつも忙しい中、「しゃべり場」のスタッフの方、話を聞いてくださってありがとうございます。これからも、よろしくおねがいします。